お米の歴史

日本の米作りの文化。

米作や稲作は中国やミャンマー、インドが接している山岳地帯の周辺で陸稲栽培からスタートして、中国南部、東南アジアへと広がっていったと言われています。

そしてその後中国中部、北部、南アジアに伝わり、日本へと伝わったのです。

稲作の起源は植物相が豊富な中国雲南省と言われていたのですが、最近の調査によると、雲南省の稲作遺跡は4400年以上前に遡れない事が明らかになったのです。

しかし、中流域右岸に位置する江南省や湖西省で1万年以上前に遡るものとされるものが発見され、古いものでは1万2000年以上前のものになります。

そして稲作は日本では縄文時代中期頃から始まりました。

ブランドオパールや炭化した籾、米や土器に残る痕跡などから見て取れるものです。

縄文時代中期に九州南部に伝わり、九州北部、中国、四国へと伝わったという説も存在しています。

水稲栽培が始まったのは、縄文時代晩期から弥生時代早期にかけてと言われており、各地に水田の遺溝が存在しています。

米そのものは日本で非常に特殊な意味を持ち、長い間税として、ある地域の領主や家の勢力を示す指標として使われていました。

米を主食とする他の国でも日本以外にはこの様な形式の国はほとんどありません。

第二次世界大戦の物資不足の時には、日本政府から白米禁止令が出されました。

白米が禁止され、玄米を食べることと義務付けられたのです。

玄米そのものは身体に悪いものではないので栄養価はあがりますが、味が劣るとして一升瓶に玄米を入れて棒で精白する人も多く存在しました。

そして、1966年には日本の米自給率が100%に達して。1970年代には米余り現象が起こり、それに伴った政策が取り入れられたのです。

そして記憶にも新しい1993年の全国的な米不足。

俗に言う平成の米騒動。

この時にタイなどから緊急輸入したのですが、インディカ米を食べ慣れていない日本人の口には合わなかったのです。

この時を境にせんべいなどの加工用の米の輸入が一般化したのです。

日本が一番お米を作っていると思う人もいるのですが、そうではありません。

米の9割近くはアジア圏で生産されて消費されていますが、最大の生産国は中国です。

それに次いで、インド、ベトナムが並んでいます。

中国は2000年代後半で世界最大の米生産、消費国なのです。

経済発展による所得向上から、ジャポニカ種の消費増加と、地方都市間の人口移動などによる新たな消費層の発生などがあり、消費量はどんどん増加しています。